2021年10月31日

経営理念

身体が弱かった幼少期

昭和49年12月5日
福岡県久留米市にて近藤家の長男として生を受け、
父、母、妹、弟との5人家族で育ちました。

厳格な父から、

「遊ぶ時も真剣に遊べ、笑いながら遊ぶな」

とか、

「寝るときは腕組んで寝ろ」

と言われたことを今でも覚えています。

幼少期は病弱で、乳歯は全て虫歯、
喘息持ちでしょっちゅう風邪をひいては扁桃腺を腫らし、
身体も小さく、小学生の間に3〜4回骨折をするというありさま。

母からは、ご飯を食べないから、
近所の子に比べて身体が小さく弱いのだと言われ、
強くなるために一冬半袖半ズボンで過ごすように勧められました。


サッカーが身体を変えた

実際に一冬それで過ごしたところ身体が少し強くなり、
小学校3年生から地元スポーツ少年団でサッカーを始めました。

そこから中学、高校でもサッカーを続けた結果、
身体も鍛えられて強くなり、
風邪をひくこともほとんどない健康体に。

現在は170cm、83kgで、
小さい時に比べられていた、
近所の子たちの誰よりも立派な体格になっています。

学生時代は友達も多くいて、
楽しく過ごしていました。

高校時代に一緒に過ごした仲間の中には、
大学教授になったり、
プロ野球選手になったり、
某大手自動車メーカーにスカウトされた友人もいます。

今でもそれらの友人は世界をまたにかけて活躍しており、
たまには劣等感やコンプレックスを抱くこともありますが、
地元に残った私たちの目標ともなっています。


悔しさがバネとなって

大学は東京の大学を志望したのですが、
合格することができず大阪の近畿大学に進学。

子どもの頃から機械いじりが好きだったこともあり、
学部は理工学部機械工学科を選びました。

そして大学ではサッカーを続けることはなく、
入部したのはウェイトリフティング部。

新入生を勧誘していた先輩の身体の小ささを見て、
まったく強そうに思えなかったため、
身体も強く、腕っぷしにも自信があった私は、
一度試しにと、練習に参加してみました。

ところが、弱そうに見えたその先輩は、
私の2倍3倍の重さのウェイトを軽々と上げるのです。

それがとても悔しく、
負けたままでは終われないという気持ちになり、
勢いで入部してしまいました。

けれどもその悔しさがバネとなり、
出場した西日本新人戦で2位、
4年生では主将まで務め、
最終成績は大阪府で3位、
関西学生で5位にまでなることができました。

大学時代にはアルバイトにも熱が入り、
佐川急便やピザの配達、
ガードマンなどを経験。

特に佐川急便では夜7時から朝7時まで働いたので、
学生にはふさわしくないほどのお金を稼ぎ、
車はソアラ、バイクはゼファー400と贅沢三昧でした。


商社の営業マンとして

就職は機械系の会社を志望し、
ロケットや飛行機を作る大企業に果敢に挑戦。

しかし願い叶わず、
建設機械などを製造販売する商社に就職。

三重県鈴鹿市の営業所に配属となり、
最初は修理などを担当していましたが、
その後に営業に異動。

主にクレーンやショベルの販売が仕事でした。

日々ノルマを達成することを目標に走り回っていましたが、
ある時、大型クレーンを受注することができ、
契約できた時はそれまでない喜びを感じました。

しかし、その時の利益はというとなんと3〜4%。

そのことを知った時は、
消費税分(当時は消費税が5%)も稼げなかったことに、
深く落ち込みました。

その一方で、お客様である建設会社の社員さんが、
とても楽しそうに仕事をしているように見え、
羽振りも良さそうに感じていたので、
建設会社への転職を考えるようになりました。


建設の道へ

ある日、用事で実家に帰った時に、
父にそんな話をしていると、

「今勤めている会社を退職して独立する」

と父が突然言い出したのです。

「建設の仕事をするのなら一から教えてやるから、一緒にやろう」

とも言われ、そこからとんとん拍子に話が進み、
気が付けばどっぷり土木の世界に入り込んでいました。

それから少しして弟が合流。

他の建築会社に勤めていた妹も合流し、
現在に至ります。

妹が合流したことで土木だけではなく、
建築も手掛けることになったのですが、
当時は紹介で年に1〜3棟住宅を建てる程度。

本格的に建築をしたいと考えていた、
今から10年ほど前に建築技術者を募集していたところ、
当時71歳の父親より年上の方が突然訪ねてこられ、

「他社を定年退職したが、まだ働けるので雇ってくれないか」

と言われました。

そこから公共建築にも進出し、
今では当社の一つの柱となり、
建築部も大人数になりました。

その方は80歳を超えましたが、
今でも現役で働いてもらってます。

公共建築がメインだった建築部門ですが、
徐々に民間の建築も増えていきました。


家族が笑顔になる住宅を

しかし本当のところ最初は、
住宅にはあまり興味がありませんでしたが、
今から4〜5年前に、

【株式会社 共結】

という会社を友人から紹介されました。

聞くところによるとその会社は、
個人住宅専門で営業、設計、施工を一貫して請け負っていて、
引き合いは多いけれども利益が出ていない状態とのこと。

その会社と提携しないかという提案だったのですが、
個人住宅に本格参入することを狙って承諾しました。

最初の2〜3年は見積の不備や設計の不備、
施工を受け持つ当社とのコミュニケーション不足等々、
問題が山積みで当然利益など出るはずもなく、
赤字受注が続きました。

そこから試行錯誤の末に仕組みを大幅に変えた結果、
現在では安定して施工する事ができるようになりました。

【株式会社 共結】が提供する住宅は、
お客様と0から家をつくり上げていく、
フルオーダーメイドのスタイルです。

こだわりの住宅は設計に時間をかけ、
十分に納得がいくまでプランニングを重ね、
世界で一つだけの住宅をつくり上げていきます。

その一方で今後は、
セミオーダー住宅や規格住宅などの、
リーズナブルな住宅も手掛けていこうと考えています。

家というのは、
その家庭のライフスタイルの一部です。

過重な住宅ローンを負わずに、
子どもの教育資金や趣味にお金をかけたいというスタイルも、
増えてきたと感じています。

外観や内装などのデザインを重視するのではなく、
住みやすく、家族が仲良くなる住宅を提供したいと考えています。

今後もお客様のことを第一に考え、

「家族が笑顔になる住宅を提供する会社でありたい」

そう願って邁進してまいります。


株式会社近藤建設 代表取締役 近藤 隆男

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